パタヤまじ熱海

筆者のメモ帳と同義である。

センスが良い人とは

学生の時
「あいつはスポーツ何でもできる。センスあるよな」

社会人になって
「○○くんのプレゼン資料って、センスがあるよね」

女性に
「○○さんて、服装のセンス良いですよね」

 

なんと言葉を一度でも聞いたことがあるだろう。

 

逆に、

あいつはセンスがない等の、マイナス表現でも使うことももちろんある。

おれって、わたしって、あたいって、拙者って、センスないのかなぁ、、、って悩んだことは、皆さんにもあるだろうことだと思う。

 

 


センスとは、生まれ持った才能

のような意味で使われている。

 

 


幼き頃、筆者は、パワプロの攻略本を常に持ち歩いていた。

選手名鑑変わりに持ち歩いていた。プロ野球が好きなのである。

ひとりひとりの選手の能力が事細かに書いてあるのである。

イチローセンス〇の能力がついていた。


サクセスで、センス〇が初期能力でついている選手が1/256(数値はうろ覚えだ)が出現した。

経験値が少し多くもらえるのである。
良い選手が作れるのである。

 

生まれ持った才能がある選手が時たま現れるのである。

 

 


中学生のころ、テスト前に、

Aくん「勉強した?」

Bくん「全然勉強してなーい」

点数が低いことをお互い約束するのである。

 

しかし、Aくんは絶望するのである。

 

Bくんが高得点をたたき出すのである。

クラスのみんなに、Bくんは言われるであろう。

 

センスが良いと。

 

おそらく、Bくんは勉強したことを隠しているのである。
センスが良いと思われるために。

 

 


元日ハムの新庄剛志という選手(彼に関しては、いつか記事を書かしていただこうと思っています)。

彼は、練習が嫌いなどとよく発言している。

野球のセンスがある人間として知られている。

日ハム時代の同僚、大エース?まいど!の岩本勉が、

「トレーニングルームに珍しく早く行ったみたんです。そしたら、外にも聞こえるくらいの声で、トレーニングしている奴がいたんです。新庄だったんです。んで、おれが入ったら、そそくさと終わりにしたんです。新庄が部屋を出てから、トレーナーに聞いたんです。新庄はいつもみんなが来る前にトレーニングしている。と」


頑張っている姿を見せたくない男なのである。

 


就活中に、あるTV制作会社の説明会に行った。
そこそこのお偉いさんが、なにか面白い話(筆者はなにも面白くなかったので、内容は覚えていない。)をした。みんな笑っていた。
お偉いさんは言った

「弊社は、私みたいな、センスのあるやつの集まりです!さぁ、みなさんのセンスを弊社で活かしませんか!!」
なんてことを言っていた。筆者は吐き気がした。

 

そのとき筆者は感じた。

なんの説得力もない。お前のセンスってなんだ。こんなやつになりたくない。筆者はロジックで面白いことを考えてやる。

 

あれ?

 

センスってロジックでカバーできるんじゃね?と感じたのである。

 


また、筆者は、当方がセンスのある人間だと思ったことはない。
しかし、Bくんや新庄のように(新庄と同じ土俵にはもちろん立っていないが笑)陰で努力していた。

 


自分は、センスがよい人間だと、周りにプレゼンしていた。

 

 

センスが良い思われるために、

ファッションも勉強した。

本も読んだ。

居酒屋の調査も抜かりなかった。

料理の勉強もした。

なんでもやろうと思った。

 


筆者は、制作会社のお偉いさんと今までの自分の無意識な行動から、

 


センス=知識量+ロジック

 


だと考えるようになった。

 

 

初めからなにかをできるようなやつはいない。
筆者はそうだった。自分はバカだった。空っぽだった。

まだまだセンスのある人間とは言えないが、筆者の初期能力よりは、上がってきたのである。

 


知識という”点”を”線”で結び、ロジックでアウトプットするのである。

それがセンスである。

 

もちろん、”点”を”線”で結ぶ方法はセンスでなく、知識である。

 

知識と言っても

例えば、建築会社に勤めている人が建築だけの知識をつけなさいというわけではもちろんないのである。
なんでもよいのである。なにか新しいことを知る。経験する。

 

「センスがない」と言われても諦めず、学べばいつか、センスが良くなる。

そして、心の中で思い浮かべる

理想の自分になるために

知識をつけるのである。

 


ぬかぬか、休日にごろごろ昼寝していたら、周りに、置いていかれるのである。

 

 

 

しかし、筆者は、今日も二日酔いでなにもできないのである。